『ウッゴー、ウユニの塩湖にも花は咲く!?』

突然、母子家庭になったボリビア生活日記から復活 減農薬ぶどうの栽培記録アレコレ 『減農薬ぶどうの販売について』を見てね!

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人が生きている意味

ある日、突然 彼が帰ってこなくなった時 私は ほんとにボロボロなのに なんだか気が張っていて 心配して訪ねてくる友人たちに 聞かれもしないのに『私は、大丈夫だよ。』って言ってた。
3才になろうかという娘は 急に指しゃぶりが始まって、抱っこしてないと泣くようになった。娘を支えようと 1日中 休みなく抱く日が1カ月続いて 夜になったら 私の指のしびれが始まった。それでも 娘は 私から見ると悲しみから立ち上がり みるみる元気を取り戻して ある夜、毎晩泣いてる私を とても小さな手で抱きしめた。 『パパは死んじゃったんだよ。でも 私が居るから大丈夫よ』って 私は苦しくて それどころじゃないと思いながら こんな小さな子でも 母親を必死に支えようとすることにぼんやり驚いてた。

ただ彼女が元気を取り戻したように見えると 私が 頑張らないとって気持ちが 切れてた。 まだ 小さかった彼女が 少しでも 手がかかると 怒って叫んだ。叩いたり 頭に水をかけたこともあった。叩かれて育った私は、こんな親にはならないと決心してたのに 自分を止められなかった。

生まれた日から 彼女が 可愛くて可愛くて 毎日 カワイイって言わない日がなかったのに言わなくなった。

もしも 夫か娘か選ぶことが出来たのなら 夫に生き残って欲しかったと何度も考えた。あなたは可愛かっただけで、私たちは、まだ繋がっていなかったのかもしれない。

このままでいれば 私は、この子を壊してしまうかもしれない。あんなに大事だった娘を 疎ましいとさえ思った。

まだ ボリビアに残らなければならなかった私の家に代わる代わる夫の友人たちが 訪ねてきては、私を食事やお茶に誘ってくれた。ある友人は、しばらくは毎晩、仕事帰りに家によってくれ、30分ほど 話して帰って行った。同じように小さな子どもがいるにもかかわらず。
誘われても、誰にも会いたくない気持ちも大いにあったけれど このまま、2人では 居られないと 誘われるまま ほぼ、毎日家々を訪ねた。ただ、お昼を、過ごしたり、お茶を飲みに行き、いつも 誰かがそばに居てくれた。
特別、仲が、良かったわけではなかった。ただ夫の友人や ほんの少し前に知り合っていただけだった知人が 代わる代わる私と時を過ごしてくれ、ほんとうの友人になっていった。半年後 私は  ボリビアを去ることになった時 まるで、気持ちが変わっているのに気がついた。

彼らがいなければ 私は ここに生きていたかも わからない。振り返って やっと あの時 どれだけ 打ちのめされていたか気がついた。 また、会うことができるのか わからない友人たちは ただ そばに居続けてくれ 私を救ってくれていた。痛みを持ち続けても もう彼らが居てくれることを知っていた。

あの時 私が学んだことは どうしても伝えたい。

人には、どうしても 1人では超えられないことが 起こるようになっているの。
人と人は支え合うようになっている。
だから人は 欠けていていい。助けられると思っていたら、それが助けていることにもなっている。

迷惑かけて 生きていい。

それに
お母さんは 無理しないこと。頑張らないこと。ニコニコしていられる余裕がないと 子どもを幸せになんて 出来ない。ニコニコしてるだけで 子どもは幸せにできる。


彼が死んだことにも意味はあるのかって苦しんでたけど あるとき気がついた。彼が生きていたこと 出会えたことに意味がある その意味を 私が作ることができるんだって。
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Author:banbi
福島原発事故後 千葉県から岡山県高梁市へ母子で避難移住。ぶどう農家で独立を目指し、研修をかねてバイトをしていました。2015年春に 12本のぶどうの木を借りることになり 減農薬のぶどうの販売を始めました。

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